ユーラシア写真館  − Eurasia Photo Gallery


アジア館

中東・中央アジア&ロシア - Middle East, Central Asia and Russia
イスラエル/パ レスチナ −   Israel/Palestine

139.キリストの受難−2:悲しみの道−エルサレム(イスラエル・パレスチ ナ) - Passion of Christ - 2: Via Doloroso, Jerusalem, Israel / Palestine (December 7, 2007) 
 エルサレムはもともとユダヤ王が基礎をつくった町だが、そこに宗教改革者としてイエス・キリストが登場する。キリストはユダヤ教徒が自分 を異端者として狙っていることを知りつつ、敢えてエルサレムに上がる。そして捕らえられ、裁判にかけら れ死刑を宣告される。茨を載せられ、十字架を背負わされ、町を引き回される。最後はゴルゴダの丘で息途絶えるのだが、後にオリーブ山から復活する。そのキ リスト教の成立にとても重要な役割を果たしたのが、キリストが十字を背負って歩いた道、悲しみの道である。今では、普通に商店が並ぶ道だが、所々にステー ション(留)と呼ばれるキリスト由来の場所があり、そのステーションを 辿りながら悲しみの道を歩くことができる。


138.キリストの受難−1:オリーブ山(エルサレム、イスラエル・パレスチ ナ) - The Passion of Jesus, 1: Mount Olive, Jerusalem, Israel / Palestine (November 17, 2007) 
 今回を含めて、おそらく3回の構成で、キリストの最期に関わる3つの場所を取り上げようと思う。最初はオリーブ山。オ リーブ山はキリストが何度も何度も帰ってくる場所だった。そして、処刑の前日さえもここオリーブ山のゲッセマネにキリストは居た。そして密告。キリス トが捕らえられたのもゲッセマネの一角だ。ゲッセマネとはオリーブの搾り場だったという。ここには今でもオリーブの老木がある。オ リーブ山からのエルサレムの眺めは素晴らしい。エルサレム見学の最初は、オリーブ山から町を見下ろすに限る。
 なお、写真館111の写真をこのシリーズで使うため、写真館111は閉鎖しました。


137.モダン・アートな町並み−テルアビブ(イスラエル) - A City of Modern Art, Tel Aviv, Israel (November 10, 2007) 
 テルアビブの町の印象を一言でいえば、モダン・アートな町ということかもしれない。町中がちょいとファンキーなアートで飾られているの だ。そ の中心に位置しているのは、テルアビブ美術館だろう。ユダヤ人画家・シャガールの収蔵が多いのは特徴的だが、それに限らず世界中のさまざまな美術品を幅広 く展示していて、見ごたえがある。写真展も充実している。町に出ても、アートは溢れる一方だ。特にカルメル市場の裏道理などは、通りそのものを芸術家に占 領されてしまったような感じだ。海岸沿いは若者中心のポップな町。町が美術館の屋外展示場のようだ、とい えばいいのかもしれない。今回は写真をお見せできないが、建築もなかなかパンクなものが多い。


135.東か西か−パレスチナのエルサレム(イスラエル・パレスチナ) - East or West, Palestinians and Jerusalem, Israel / Palestine (October 23, 2007) 
 エルサレムは「平和の町」(イルシャルーム)というヘブライ語がその名前の起源という節が有力だ。しかし実際には、キリスト教・ユダヤ 教・イスラム教の聖 地が重合するこの小さい町を巡っては、骨肉の争いが行われてきた。第2次大戦後、エルサレムは東西に分断されたものの、今は東・西エルサレムともにイスラ エルの管轄下にある。東西エルサレムの中間にある旧市街もパレスチナ人、イスラエル人、さらにはアルメニア人な どが地区ごとに分かれて共住している。今日は、エルサレム旧市街のなかでも、パレスチナ人の多い町を歩いてみよう。そこは、スーク(市場)で色とりどりの 果物や、焼きたてのスイーツが溢れる、アラブの世界なのだ。


134.ダビデの町−エルサレムを行く(イスラエル・パレスチナ) - A Walk in the City of David, Jerusalem, Israel / Palestine (October 5, 2007) 
 エルサレムには、ユダヤ人地区、パレスチナ人地区、アルメニア人地区などの地区があって、それぞれの民族の人々がそれぞれの地区に住ん でいる。地区に境 があるわけではないが、たとえばユダヤ人地区に行くとシナゴーグ(ユダヤ教会)があり、必然的にヘブライ文字が多く見られる。パレスチナ人地区ではアラビ ア語が多いし、イスラム教徒のベールも多く見られる。という訳で、エルサレムは民族が場所ごとに別れ住んでいる都市、ということが言えるかもしれない。今 日は、そのなかでユダヤ人地区を歩いてみた。大体の場所でいえば、聖墳墓教会から西の方、といえばあまり外れていないだろうと思う。


133.ある日、町を歩き回ってみた・ラマラ (パレスチナ)-One Day I Walked around in the City, Ramallah, Palestine (September 29, 2007) 
 パレスチナの「首都」ラマラ。この町の滞在もだいぶ長くなってきた。町に慣れると、旧市街地の古い町並みや、新しい町の繁華街をよく歩い た。旧市街は半分くらいはキリスト教徒ではないかと思う。旧市街には、ギリシャ正教の古い教会とカトリックの教会が坂の上のと下 にあった。ギリシャ正教の教会のご近所はイスラムのモスクだ。異教徒たちが気を使いながら共存するのが、ラマラ旧市街だ。そのためか、人々はオープンで優 しかった。ラマラは小さい町だが、ときに映画祭や音楽祭も開かれる。特にモーツアルト音楽祭で聴いたレクイエムは心をゆすぶられる演奏だった。こうした普 通な生活が邪魔されずに続くような安定した政治体制が望まれる。


131.普通の町の普通の人々・ラマラ (パレスチナ)- Ordinary People in an Ordinary City, Ramallah, Palestine (September 15, 2007) 
  パレスチナ、と聞くと紛争地、戦乱の国というイメージが強いのだろうな、と思う。パレスチナとイスラエルの弛まぬ 紛 争、ロケット弾をぶっ放しただの、それがどっかに命中したのといったニュースが飛び交っていれば、それはやむを得ないことだ。しかし、それはパレスチナの 実情の、ほんのひとこまに過ぎない。ラマラの名前は、ラム・アッラーと分解され、アラーの場所という意味なのだそうだ。この町は至って平和だった。2ヶ月 近く滞在したが、危険な目にはほと んどあわなかった。もちろん、もしも何かが起これば平和ではいられない、という意味で薄氷の上の平和なのかもしれない。平和の基礎がしっかりと固まること を心から祈る。


124.地中海に沈みゆく夕日・ジャッファ(イスラエル - The Sun Setting in the Mediterranean, Jaffa, Israel (May 4, 2007) 
 夕方6時前にジャッファの時計塔の近くにあるオールドジャッファ・ホステルという宿にチェックインした。ホテルとい うようりもホステルという呼び名が ぴったりする宿で、建物も古くて味があり、壁には昔の写真が飾られている。チェックインしたらすぎに町に出た。前に一度歩いているから、大体の方向はわか る。とにかくも時計塔に行けば、あとは簡単だ。旧市街をしばらく歩いているうちに、陽が傾いてきた。浜辺に下りる階段の上あたりで、地中海に陽が落ちてい くようすを見ていた。いつの間にか、浜辺のあたりにはかなりの数の人々が来ていた。日没の後に空を見上げると、青と赤が交じり合った微妙な色のグラデー ションがバックライトのように古い町を照らしていた


110.地中海の古き港町・ジャッファ(イ スラエル) - An Ancient Port City on the Mediterranean, Jaffa, Israel (December 18, 2006) 
 テルアビブはイスラエルの首都みたいな都市だが、この都市は 建国後に人工的に作った新しい町だ。だからどこもかしこもピカピカでなんだかつまらない。そこで、テルアビブができる何千年も前からあったという港町、 ジャッファにいってきた。読み方がいろいろあって、ヨッフォともヤッフォとも言う。テルアビブの南側に隣接していて、今はテルアビブ・ジャッファ市と、二 つが合わさって一つの町となっている。テルアビブの中心からタクシーでも15分ほどの場所だ。今のジャッファは城壁に囲まれた坂と路地が多い街だ。海辺だ が小高い丘になっているから、海はあち こちから見える。

エジプト −  Egypt

157.都大路・バイナルカスラインを歩く ―カイロ・イスラム地区(エジプト) - A Walk in the Palace Lane, Islamic Cairo, Egypt (June 21, 2008)
 ユネスコの世界遺産にも指定されているカイロの歴史的な町並みの一つ、イスラム地区を南北に貫く子道がある。幅でい えば5メートルほどの路地で、車がすれ違えないくらいの道だ。その昔はこの道にそって王宮があったといい、 今でも都大路=バイナルカスラインと称される。ちなみにノーベル賞作家のナギーブ・マフーズの代表作の一つ に同名のものがある。マフーズもまた、イスラム地区で育った人だ。その道を歩いてみよう。最初は南のスヴェーラ門からスタートし、最後は一番北のフツーフ 門だ。ここから先は、いわば城外。都大 路はここまでだ。


156.死者とともに生きる ―死者の町・カイロ(エジプト) - Living with the Dead, City of the Dead, Cairo, Egypt (June 14, 2008)
 カイロの歴史的な町・イスラム地区に隣接して、死者の町という怖い名前の場所があ る。別にゾンビが出るわけじゃあない。ここはイ スラム地区が発展する中で、14世紀くらいからずっと墓地にされていた場所なのだ。死者の町には、いくつかの代表的な廟、つまり墓を兼ねた建物がある。な かでも カーイトゥベーイの墓とマスギドと呼ばれる建物が有名だ。これはエジプトの1ポンド札の絵柄になっている。死者の町の建物は、ドームが釣鐘のような形をし ていて、表面には細かい浮き彫りの装 飾がなされている。死者の町を歩いてみると、そこに住む生者たちはみな素朴で明るく優しい。


155.最古のピラミッドの村人たち ―サッカラ(エジプト) - People in the Village of th Oldest Pyramid, Sakkara Egypt (June 1, 2008)
 カイロ滞在の最後の祝日、サッカラにいくことにした。サッカラというのはカイロの南50キロほどの場所にある。エジ プトでももっとも古いといわれるジゼル王の階段ピラミッドが有名だ。最初にバスを乗り継いでサッカラの階段ピラミッドに行き、そこから歩くかバスに乗るか しててサッカラの町に行く。さらに足を伸ばして、近くにあるメン フィスに立ち寄ってから帰る。これがこの日の旅程のすべてだ。後は出たとこ勝負、人に聞いたりして何とか帰り着くだろう。おぼつかないときはタクシーに 乗っちゃえば、お金が解決してくれる。こう、いい加減な調子で旅は始まった。


152.二つの海を繋ぐスエズ運河 ― スエズ〜ポートサイド(エジプト) - The Suez Canal Connecting Two Seas, Suez - Port Said, Egypt (April 27, 2008)
 スエズ運河は地中海と紅海という二つの海を繋ぐ。逆の言い方をすれば、ユーラシア大陸とアフリカ大陸という二つの大 陸を隔てるといってもいい。長さは 160キロあまり、エジプトのシナイ半島の付け根のあたりの砂漠を開削した運河だ。エジプトに滞在する日々、ある週末に思い立ってスエズ運河を見に行っ た。南の紅海側のスエズと北の地中海側のポート・サイド、途中にはイスマーリヤやアル・カンターラ といった町がある。高速バスやタクシー、セルビス(相乗りタクシー)などを乗り継いでスエズめぐりを楽しんだ。


151.ナイル・デルタの農村から ―カイロ郊外(エジプト) - From a Village in The Nile Delta, Cairo Suburb, Egypt (April 27, 2008)
 エジプトは、国土の3%の可住地に97%の国民が住んでいるという。エジプトの可住地は薄茶色の砂漠に浮かぶ、緑色 の箒(ほうき)のような形をしている。首都カイロはナイル・デルタのヘッド、扇 の要の位置にある。そこで、今日はカイロから抜け出して郊外の農村にいってみようと思う。一回は事務所スタッフの若者クンの実家がある 村にお邪魔した。農村は、緑の畑の中にポッカリと浮かんだ島のようだ。水道も井戸に頼り、道もほとんど舗装していない。建物はたいていレンガ積みで塗装も していない。建物の屋上で鶏やアヒルを飼っていたりする。貧しいといえばそうなのだが、人々は明るく屈託がない。大都市カイロの違う素顔かもしれない。


147.ファラオの雄姿・カルナック神殿 ―ルクソール(エジプト)  - The Phraonic Grandeur - Karnak Temple, Luxor, Egypt (March 8, 2008)
 カルナック神殿はルクソール神殿の「本殿」ともいうべきもので、いわばルクソールの遺跡群の中心にあたる。カルナッ ク神殿は中王朝より2000年にもわ たって、建設・拡張・修復を繰り返してきたのだそうだ。カルナックに 関わったファラオたちは数多い、その中でもラムセス2世は大王とも称させるキング・オブ・キングスだ。カルナック神殿にはラムセス2世の足跡があちこちに 見られ る。ピラミッドや大スフィンクスなど、大造りで荒削りな造形を見慣れた目に、カルナック神殿の繊細かつ図学的な構成は目を見張るものがある。それではご一 緒 にツアーに出かけよう。


145.ナイルの贈り物 ―カイロ(エジプト) - The Gift of the Nile, Cairo, Egypt (February 23, 2008)
 エジプトはナイルの賜物である――そういったのはギリシャの 歴史家・旅行家のヘロドトスだ。エジプトを空からみると、エジプトは砂漠を示す薄茶色で覆われている。その例外が一本の 筋、つまりナイル川に沿った帯と、それが分岐する箒の先のようなデルタ地帯だ。この箒の柄と先がエジプトにおける可住地のほぼすべてだ。あとはいくばくか のオアシスがあるに過ぎない。だから、エジプトはナイルなしには生きていけない。ほとんどの都市はこの「箒」の緑色の中に含まれる。カイロにいるとあちこ ちでナイル川と遭遇する。ある時は岸辺から、ある時は橋から、ある時は河岸のホテルのルーフから、ある時は水上バスから、ナイルを眺めてみた。砂漠の中を 滔々と流れるナイル川、やっぱり不思議だ。


143.ハーン・ハリーリのいろいろな音 ―カイロ(エジプト) - Various Sounds in Khan Khalili, Cairo, Egypt (February 1, 2008)
 カイロのイスラム地区は歴史的な町並みとして世界遺産に指定されている。その中心 に位置するのが、フセイン寺院と広場で、高いミナレットが目印だ。この広場に繋がっている路地の一つがハーン・ハリーリだ。ハーンとは商隊宿のこと、ハ リーリは人名で、ハリーリの商隊宿ができたことによってこの地区が商店街として発展したというわけだ。ハーン・ハリーリは賑やかな路地だ。客引きの声やお 土産やおもちゃの音、観光客の発する外国の言葉、お祈りを誘うアザーンの声、などなど。この路地を歩 いていると、本当にいろいろな音が聞こえてくる。そんな音を思い出しながら写真を集めてみた。本当の音が聞きたい人は・・・・現地に行ってください。


141.ルクソール神殿の失われたオベリスク ―ルクソール(エジプ ト) - The Foregone Obelisque of the Luxor Temple, Luxor, Egypt (January 14, 2008)
 ルクソールの2回目は、市内にあるルクソール神殿を取り上げる。ルク ソールにはもう一つ、より大きなカルナック神殿があり、ルクソール神殿はカルナック神殿に付属したものといわれている。ここにはもともと2本のオベリスク (石で作った針のように尖った塔)があったのだが、その一本は1830年にフランス政府に寄贈され、今はパリのコンコルド広場に立っている。エジプトの遺 跡というと、それまでピラミッドのように巨大でのっぺりとしたものしか見ていなかったので、ルクソール神殿の繊細な彫り物や、列柱の並ぶ建築的な空間作り はハッとさせられた。


140.王家の黄昏 ―ルクソール西岸(エジプト) - The Twilight of the Kings, The West Bank of Luxor, Egypt (December 15, 2007)
 ルクソールというのは、中王朝というから紀元前16から11世紀くらいまでに栄えた都で ある。ルクソールは、川の東側に町があり、ほとんどのホテルもこちら側にある。対岸、つまりナイル川西岸は、王家の谷といわれ、中王朝時代の王や家臣たち の墓が、深い谷にかくまわれるようにしてある。王家の谷のほとんどの墓は、いつの時代にか盗掘にあい、金目の品は盗まれ、あるいはミイラさえも失われたり した。ところが20世紀初頭、ツタンカーメンの墓が、ほぼ無傷で発見された。有名な黄金のマスクもここから出土した。 つまり、ルクソールは生者は日の昇 る東、死者は日の沈む西ということのようだ。もちろん西にも盗掘で有名なクルナ村があって、地元の人が住んでいるから、一概にはいえないけれど。今回はル クソールの西岸、死者に近い場所を取り上げよう。


129.カイロの路地裏の雑踏から ―カイロ(エジプト) - From the Crowded Lanes of Cairo, Cairo, Egypt (August 6, 2007)
 カイロ市内は人が多い。都市圏の人口が1600万人くらいいるのだから、都心が少々込み合うのは仕方がないかもしれ ない。カイロの路地は、何かアラブ的というか、いやエジプト的とでもいうべきなのか、何か独特な香りというか雰囲気があるような気がする。露店で売られて いる さまざまな商品、イスラムの装束に身を包む買い物客、声高な売り口上。見上げればモスクの尖塔・ミナレットが聳え、足元を見れば猫がたむろしていたりす る。前回のカイロ出張では、いろいろなトラブルがあって引きこもりがちだったが、心機一転カイロの楽しい側面を見てみようと写真を集めてみた。


128.アールヌーヴォー建築めぐり ―カイロ(エジプト)  - Tour of Arts Nouveau Architecture, Cairo, Egypt (August 1, 2007)
 19世紀中ごろからスエズ運 河計画を巡って、エジプトはフランスやイギリスの干渉を受けることになる。1869年にスエズ運河がぶじ開通したが、その13年後にはイギリスはエジプト を実質的な植民地とした。イギリスのエジプト支配は、第二次世界大戦後の1956年にナセル大統領に就任し独立を獲得 するまで続いた。このおよそ100年間に、カイロにはヨーロッパ風の建築物が建ち並んだ。19世紀末にヨーロッパといえば、有機的に曲線を組み合わせ、自 由な装飾性が溢れるアールヌーヴォーが広がった時期である。カ イロの建築物にはアールヌーヴォーの香りのするものが多い。軽やかな曲線を取り入れた床や壁、自由に曲がり想像力を刺激する鉄の飾り、奥行きのある色合 い・・・.。今日は、カイロの19世紀から20世紀初頭の建築物を歩いてみた。


127.モハメッド・アリの見た夢―カイロ(エジプト)- The Dream of Mohamed Ali, Old Cairo, Egypt (July 22, 2007)
 カイロといえばピラミッド、スフィンクス。それはそうなのだが、カ イロ はイスラム教の創世記からずっと、イスラムの一つの中心地の機能を担ってきた都市といっていいだろう。それがイスラム地区といわれる一角だ。そのイスラム 地区をみおろるような丘の上に聖堂が建っている。19世紀、オスマントルコからの独立を勝ち取り、以降西洋風の街づくりに励んだモハメッ ド・アリの聖堂だ。その外観は、トルコ・イスタンブールのトプカプ宮殿を模したといわれる。ある休日、あまり期待もぜずにモハメッド・アリの聖堂に向かっ た。



122.キリスト教徒のエジプト・オールドカイロ(エジプト) - Christianity in Egypt, Old Cairo, Egypt (April 21, 2007)
 エジプトといえばイスラム教がまず頭に浮かぶ。ところがエジプトに はもう一つの顔がある。エジプトには古くからキリスト教徒がいるのだ。 イスラム教がこの地に浸透する以前からキリスト教徒はいたが、イスラムが広まるにつれてその布教の圧力から逃れるようにナイル中流域に移動していったとい う。そうしてイスラム化したエジプトに、わずかばかりだがキリスト教徒が残った。 エジプトに根付いたキリスト教をコプトと呼ぶ。その本拠地の一つがカイロの南部にあるオール ド・ カイロ地区である。オールドカイロはやはり他のカイロとは雰囲気が違う。宗教というのが町の雰囲気を大きく変えるというのは興味深い。


121.イスラム都 大路の賑わい・ハーンハリーリ・カイロ(エジプト) - The Main Street of Islamic Cairo, Khan Al-Khalili, Cairo, Egypt  (April 14, 2007)
 カイ ロ 市内にある世界遺産といえば唯一、イスラム歴史地区である。その中央部が今でも賑やかな市場(スーク)となっている。ハーン・ハリーリ、またはハーン・ア ルハリーリと呼ば れる。 ここはいわばイスラム地区の都大路なのだ。今日はそのハーン・ハリーリを歩いてみた。お土産物や スパイスが所狭し と並ぶハーンハリーリと、その北側にある金属加工の零細工場(こうば)が並ぶ地区。南側には昔ながらの衣料市場がある。その印象はと問われれば、ナチュラ ルな自然の色。アースカラーとでも言うのだろうか。洗練されたとは対極の、土の匂いが記憶に残った。


120.ナイルを計る・ナイロ メーター・カイロ(エジプト)- Measuring the Nile River, Nilometer, Cairo, Egyptt (April 7, 2007) 
 ナイロ・メーターということばがある。ナイル川と計測=メーターを 合わせた合成語 で、ナイルの計測所というような意味だ。ナイル流域には他にも 何箇所かナイロ・メーターが設置されていたらしい。ナイル川の水かさを何箇所かのナイロ・メーターで計り、なんらかの経験則から判断をして、その年の洪水 や作況を占ったという。カイロ市の南、ローダ島のナイロメーターは、716年に造られたものだという。ただし、同じこの場所にはそれよりも前の時代からナ イロメーターがあったという説もある。上を見上げると、あら まぁ、とても美しい装飾がなされていた。19世紀中葉、オスマントルコ時代のものだ。これだけでも見に来る価値がある。


112.エジプト王たちのナイ ル治水物語・ファユーム(エジプト)- The Story of Egyptian Kings and the River Nile, Fayoum, Egypt (January 1, 2007) 
 ナイルを治める者がエジプトを治める、という。しかし、今から数千 年前の時代において、ナイルを治めるとはいったいどういう意味だろうか。今から およそ4000年ほど前の時代に氾濫期のナイル川の水をカルン湖という湖にためて、その一帯を干拓したそうだ。その場所は、カイロの 南のファユームという都市の辺りだという。エジプトに着くと、時間を見つけて、カイロから車を飛ばして行ってみた。はたして、運河と、水を下流に漏らさな いための堤防がおよそ4000年前に建造され、今に引き継がれて いた。


108.歴史都市の一日・カイ ロ(エジプト)- A Day in the Historic City, Cairo, Egypt (November 4, 2006) 
 カイロには、キリスト教が定着した4世紀ころに築かれたオールド・ カイロ、さらに7世紀ころにイスラム教のなかで形成されたイスラム地区など、いろいろな時代の町並みが交じり合って成り立っている。そのエジプトを訪れる 機会があった。折からラマダン、断食月 である。周りの人々が日の出から日の入りまで食物や飲料の一切を口にしないときに、異教徒ではあるものの、やたらに食事したりごくごくと清涼飲料水を飲む ことははばかられる。というわけで私自身もプチ・ラマダンをしながら朝、夕に町をあるいてみた。

シリア −  Syria

91.三千年の古代都市・ダマ スカス(シリア)- The Ancient City of Three Thousand Years, Damascus, Syria (April 29, 2006) 
 シリアの首都・ダマスカスは、世界で「最古の首都」とか、「中東で 最古の都市」などの枕がつくことが多い。その歴史は紀元前3000年いの太古に遡る。ダマスカスが確立されたのは紀元前1100年ころ、アラム人の国の中 心、アラム・ダマスカスになって以来だという。多くの歴史的な都市が途中で放棄されたりしたのに対して、ダマスカスは以来、ずっと住み続けられてきた。世 界でも最古の一つ、とにもかくにもやたらに 古く美しい、古代市であるといって間違いないだろう。

カザフスタン − Kazakhstan

1.カザフスタンー大陸の短い夏 - The Short Summer of Continent, Kazakhstan (September 24, 2003)  
 ユーラシア(Eurasia)はヨーロッパとアジアの合成語。カザフスタンはユーラシアの国を標榜する。 その位置はちょうどユーラシア大陸の中央だ。
 カザフスタンは気温差の大きい大陸性気候だ。長く厳しい冬の後にやってくる夏はからりと暑く、短い。5月の初め、急速に気温が上り、ある日どこからか突 然、夏がやってくる。じきに気温は30度に達し、人々は短い夏を楽しむ。そして9月になると、早々に夏はいずこかへ去っていく。



2.大地も凍えるカザフスタンの冬 - The Freezing Winter of Kazakhstan (September 24, 2003)
 
ユーラシア大陸の中央部に位置するカザフスタンの冬は厳しい。最低気 温は時に零下30度を下回る。平原を渡る風は身体の熱の最後の一粒まで奪ってしまう。屋外の市場では、冷凍装置なしにカチカチに凍っていた。アイスクリー ムも溶けずに箱の上に並べられている。通りには雪かきをする人々が働く。どうしてこの酷寒の中で1時間近くも耐えられるのだろうか。
 人々は冬の凍える大地とともに生きてきた。それはこの国の日常の一部なのだ。



30.シルクロードのオアシス都市・アルマティ (カザフスタン) - An Oasis City, Almaty (Alma-Ata),Kazakhstan (March 27, 2004)
 
カザフスタンのアルマ ティはシルクロードのオアシス都市。アルマティは天山山脈の支脈であるアラタウ山脈の裾野にあり、山脈には標高4,000メートルを越える山もあるのだそ うだ。1997年に新首都アスタナに遷都するまでは、アルマティーが首都だった。そのためか町は首都の風格を感じさせる。ホテルの窓を開けると雪をいただ くアラタウ山脈の頂きが見える。山間で生まれた私には、山の見える暮らしはホッとする。

ロシア − Russia

32.海峡の向こうはロシア - サハリンOn the other side of the Channel is Russia - Sakhalin (April 10, 2004)
 
ロシアというと遥かか なたにある国というイメージがあるかもしれないが、実際はそうでもない。北海道最北の地・稚内の市内からは、ロシア・サハリンの山並みが海の向こうに見え る。稚内からおよそ40kmの宗谷海峡を渡ると、もうそこはロシアなのである。日本から一番近い外国、といってもいいかもしれない。北海道からちょっと足 を伸ばしてみてはいかがだろうか。この島は十分に行く価値がある。


東南アジア・南アジア - Southeastern and Southern Asia
インド − India

146.もの売る人々―ムンバイ、インド - Men Selling Things - Mumbai, India (March 1, 2007)
 ムンバイはインド屈指の経済都市という。ものを売ったり買ったりするのは、経済の基本 だから、今日はムンバイの市場で「もの売る人々」を特集します。ムンバイのマーケットはいくつかあるが、ぼくがよく出かけたのは、半島の突端に近いコラバ という地区のマーケット。ここは漁村に隣接しているから、魚も 多い。それから有名なのがクロフォード・マーケット。ここには市場の建物とは思えないほど立派な、古い石造の建物があるのだ。 もの売る人がいれば、ものを買う人もいる。そして、売られたものが料理されて人々の胃袋に納まり、飢えをしのぎ、あるいは栄養となって体を作りっていくこ とを考えると、市場は人間の暮らしに大事なものだ。


144.フォートは英連邦の香り―ムンバイ、インド - The Fort has a Tint of British Empire - Mumbai, India (February 16, 2007)
 フォートとは要塞のことだ。イギリス時代のムンバイの古い市街地の中央部分がフォート と呼ばれる。フォートには、大英帝国の栄華を感じさせる建物が多く残されている。その代表が駅だろう。フォートの北側にあるヴィクトリア・ターミナスと呼 ばれる鉄道 駅は、これが駅舎か、嘆息が漏れるほど、豪華である。駅の近くには、ムンバイ市庁などいくつかの公共の建物があるが、これらも駅と歩調を合わせるように、 華麗で美しい。東側の地区は、イギリス人の住宅のあった場所らしく、当時の高級な郊外住宅が並ぶ、瀟洒な地区だ。そこにはイギリスにあやかろうと、「ブリ タニア」という名前をつけた食堂さえもがある。 フォートは大英帝国の残り香があちこちにある。


142.街角はポップアート美術館―ムンバイ、インド - The City is Museum of Modern Art  - Mumbai, India (January 27, 2007)
 ムンバイというと、インドの金融中心というイメージがある。それはそれで正しいのだけ れど、もうひとつのムンバイの顔がアートの町だ。特にポップアートで 有名らしい。ある日曜日、アートを求めて町を歩いてみた。まず目指したのは、旧市街の真ん中あたりにある、プリンスオブウェールズ博物館。いえ、博物館を 見るのが目的ではなくて、この博物館の前の道には、さまざまな芸術家さんたちが作品を展示したり売ったりする、「美術館通り」が目的。この一帯には、小 さい美術館や画廊がいくつかあり、アートな町並みなのだ。道で油絵を売る人、神々しい宗教がを売る仙人のような人、道でポートレートを描く老人などなど。 アートな町歩きは楽しい。


136.アイランドシティの海と空―ムンバイ、インド - The Sea and Sky in Island City  - Mumbai, India (November 2, 2007)
 ムンバイの旧市街地は別名をアイランド・シティという。え、ムンバイって島だっけ?と いう疑問をお持ちの方はムンバイの歴史を追わなければならない。ムンバ イ(歴史的にはボンベイといったほうがいいが)は、もともと7つの島だった。島を削り海を埋める造成工事によって、7つの島は陸地に変り、インド亜大陸と 連結するにいたったのである。その名残りから、今でもムンバイの半島の突端にある旧市街の地区をアイランド・シティと呼ぶ。だから、ムンバイはどこに行っ ても海が見える。今日はムンバイで海と空を追いかけてみた。


132.エレファンタ島の人と犬―ムンバイ、インド - Humans and Dogs in Elephant Island - Mumbai, India (September 21, 2007)
 ボンベイにあるインド門のすぐ横にある船着場からおよそ一時間の船旅でエレ ファンタ島に行くことができる。エレファンタ島には洞窟がいくつかあり、その洞窟の壁面に石像が刻み込まれている。6−8世紀のものだという。エレファン タ島で驚くことは石像ばかりではない。やたらと動物が多いのだ。一番目に着くのは野良犬。道 端には犬の親子や兄弟、あるいは隣組のような犬たちが三々五々、一緒についてくる。それ から猿、これは公園管理人との間で仁義無き戦いの最中のようだ。それから牛、洞窟の脇で草を食んでいたりする。もちろん山羊もいる。人間の歴史と動物たち の今が交錯する、不思議な異次元空間だ。


126.ボンベイ英印建築散歩―ムンバイ、インド - British Architecture Walk in Bombay, Mumbai, India (June 30, 2007)
  ボンベイには英国殖民時代の建築物がたくさんある。 その代表例は鉄道駅ヴィクトリア・ターミナスだろう。これは単体で世界遺産に登録されている。ほかにも 教会やホテル、映画館など、英国の残り香を感じさせる建築物がボンベイには実に多い。町を歩いているとふと、名前を知らないふるい建物に出会ったりする。 20世紀の初頭にインド政庁がデリーに動くと、ボンベイが西の玄関口となり発展した。英国人の人口も多くなり、さまざまな建物が建てられた。その無数とも いえる建物の中から、 代表的ないくつを歩いてみた。


125.ある暑い日、ボンベイで―ムンバイ、インド - Once Upon a Hot Day in Bombay - Mumbai, India (June 16, 2007)
  ボンベイに3週間ほど滞在した。ボンベイという町 は、インドでいえばデリーに次ぐ商業都市だ。マハラシュトラ州の州都でもある。マハラシュトラとはマハラジャの州という意味だ。今日は、ムンバイに来て初 めて、丸一日休みが取れた。朝から町歩きをすることにした。町歩きは庶民の目線で、というのが私の主義だから、タクシーは使わ ず列車に乗る。チャーチゲート駅から鈍行列車にのり、市の北部にある、ヒンズー寺院やらイスラム寺院を訪ね、さらに半島の南の突端、コラバの漁港やその市 場を見て歩こうという計画だ。途中でへばったら、一度ホテルでシャワーを浴びて出直す。さて、ホテルから駅まで歩いて出発しよう。


117.亡き王妃の白亜なる墳墓―タージマハール、 アグラ・インド - White Tomb Hall for the Late Queen - Taj Mahal, Agra, India (February 3, 2007)
 インドのタージマハールといえば、17世紀にムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーン が建造した、インド・イ スラーム文化の傑出した建物だ。世界遺産にも登録されている。タージは愛する王妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設したとされる。ムガー ル帝国は皇帝の浪費で財政破綻し、シャー・ジャハーン も晩年はアグラ城に幽閉されたという。インドはずいぶん前に3か月ほど滞在したことがあり、その時に一度、タージマハールを訪れたことがある。それ以来、 インドには縁がなかったのだが、 2006年に18年ぶりに1ヶ月ほど、インドに滞在する機会があった。仕事はカルカッタだったのだが、ある週末にタージマハールに行った。タージマハール は18年前とまったく変わっていなかった。


103.聖なる川の彼方へ―コルカタ・インド - Beyond the Holy River, Kolkata, India (September 16, 2006)
  カルカッタはフーグリ川に沿った都 市である。フーグリ川は、ガンガーの分流にあたる川だから聖なる川の流れを汲む。川を渡って向こう側にいってみた。向こう側のハオラー地区に行くには、 フーグリ川に架かる橋を渡るか、船に乗るしかない。橋は二つ あるが、その一つは巨大な鉄橋、ハオラー橋だ。ハオラーには船着場があって、大小さまざまな船で上下流の船着場まで行くことができる。船がよいのは、料金 が安いことに加え、川を眺めながら風に当たる贅沢。カルカッタはフーグリ川なしには考えられない。

 
100.カルカッタの雑踏から―コルカタ・インド - Down and Out in Calcutta, Kolkata, India (August 26, 2006)
 インドにはずいぶん昔に一度来た事があったが、カルカッタにくるのは今回が初めてだ。 カルカッタに到着して思ったのは、発展して変化するインドがあるとともに、目の前には路上で暮らす困窮した人がたくさんい る。外国人と見るとついてきては金をねだる多くの物乞いがいる。これもインドの現実なのだ。インドには急速に変わりつつあるものと変 わらぬものが、渾然と共存しているのかもしれない。

スリランカ − Sri Lanka

20.緑豊かな癒しの島・スリランカ  - The Green and Heeling Island, Sri Lanka (January 3, 2004)
 スリランカはインド洋に浮かぶ熱帯の島。5月から9月ころは雨期となり、島には恵み に雨が地面をぬらす。春のような暖かさの中で、樹木が蒼い葉を広げ る。「癒しの国」という表現もあるくらい、この国には優しさと豊かさがあふれている。


タイ − Thailand

148バンコク単線鉄道の旅― トンブリ&マハチャイ(タイ) - The Journey on the Single Track Railway, Thonburi & Mahachai, Thailand (April 5, 2008)
 
バンコクの鉄道で、タイ国 鉄の本線とつながっていない郊外電車、通称マハチャイ線がある。昔、バンコクに長期滞在していたころに思い立って、この鉄道でマハチャイ駅までいったこと がある。マハチャイは河口の町だけあって、シーフードが名 物だ。先月(2008年3月)にバンコクで半日ほど時間があいたので、ワンウェンヤイ駅の周辺を歩いてみた。この駅は駅の中にたくさんの店がある。という より、商 店街の中に線路を敷いたというような感じだ。こんど時間があったら、マハチャイでフェリーをわたり、サムートソンクラムまで単線鉄道&フェリー乗り継ぎの 旅ってのもいいな。


115タイ領内のクメール遺跡を歩く―タイ東北部(タイ) - A Walk for Khmer Ruins in Thailand, Northeast Region, Thailand (January 21, 2007)
 アンコールといえばカンボジア――それが普通の考え方。ところが、実はタイにもかな りの数のアンコール時代の遺跡がある。タイ 滞在中のある連休、タイ側からイサーンのアンコール遺跡見学をすることになった。プレア・ヴィヘー ルの神秘さは群を抜いていた。直線状の参道をまっすぐ進むと、最後は断崖絶壁の上に中央祠堂がある・・・こんな遺跡初めてみた。その断崖から見る緑あふれ るカンボジア平原の絶景。この遺跡は、このまま有名などにならないでほしいと思う反面、もっと多くの人に見て感動を分かち合いたい、とも思う。


109川向こうは下町の香り― トンブリ・バンコク(タイ) - The Downtown on the Riverside, Thonburi, Bangkok, Thailand (December 10, 2006)
 
バンコクはチャオプラヤ川の河口近くの低地にある。アユタヤの都がたびたびビルマに攻められ、新しい都とされたのがバンコクの対岸、トン ブリ地区だ。低地 を開発するために排水用の運河が掘られ、その土が宅地の造成の盛り土に利用された。バンコク側では後に、多くの運河が埋め立てられ大通りに変身しが、トン ブリ側では運河が網の目のように残った。トンブリには、田舎くさく人情味の感じられ る「下町」が今でもある。


102.仏塔のそそり立つ古都― アユタヤ(タイ) - The Ancient City with Towering Pagodas, Ayutthaya, Thailand (September 30, 2006)
 アユタヤは世界遺産に指定されたタイの古都だ。14世紀から18世紀までの400年あまり、アユタヤに王都が置かれた。ヒンドゥー教の影響を排して仏教 を広め、みずからも寺院を多数作った。バンコクから電車で行くならホアランプン駅か、あるいは市内北側のサムセン駅あたりに行って鈍行列車を待てばよい。 直行バスもあるが、風情の点では列車にはかなわない。もっとも帰りはバスの方が寝て帰れるから楽だ。



102.首都の胃袋・クロントイ市場― バンコク(タイ)- The Stomach of the Capital City - Klong Toei, Bangkok, Thailand (September 9, 2006)
 クロントイ市場はバンコクの中央市場だ。特に海産物が豊富で、値段も安いし種類も豊富だから、たくさん買い物をするときには便利な場所だ。ある朝、カメ ラを一台、首にぶらさげて隅から隅まで歩いてみた。早朝から市場は賑わっている。魚のほかに、エビやイカ、カニ、貝も豊富だ。切り身もあれば、丸のまま、 あるいは生きたまま泳いでいたりもする。野菜や調味料もたくさんあるから、この市場を一周すれば魚貝から肉、野菜、果物、調味料とタイ料理の必需品がすべ てそろう。



99.ファッションタウン・パトナムの臍(へそ)― バンコク(タイ)- The Landmark of Fashion Town - Pratunam, Bangkok, Thailand (August 19, 2006)
  バンコクにパトナムと呼ばれる衣料の町がある。町にはTシャツからポロシャ ツ、ワイシャツ、スーツにいたる様々な衣料の店が並ぶ。卸しの店も少なくないから、プロも買いにくるし、ごく普通の消費者も多い。パトナムがわかりやすい のは、どこにいても地上84階の、ペンシルのようなこのビルが見えることだろう。パトナムの臍(へそ)、といったら少々下品かな。最上階には回転する展望 台があるので、晴れた日に上がってみるのもいい。


96.スクンヴィット通り・繁華街物語・バン コク(タイ) - Story of the Commercial  Avenue, Sukumvit, Bangkok, Thailand (June 24, 2006)
 バンコクの繁華街といえばスクンヴィット 通りという人が多いだろう。東京でいえば新宿か 青山のような感じだ。このバンコク一 の繁華街、スクンヴィット通りを端から端まで歩いて見た。スクンヴィット通りには、高架鉄道・スカイトレインがまっすぐに貫いて走っているから、どこへいくのも渋滞知らずで便利だ。繁華 街とはいえ、高級デパートやホテルのわきに屋台店がでていたりするところがタイらしい。


95.古き仏蹟とベンジャロン焼き―ナコン・パトム(タイ) - An Old Buddhism Site and Benjarong Porcelain, Nakhon Pathon, Thailand (June 18, 2006)
 ナコン・パトンという町は古い仏蹟として知られ、本によっては「タイ最古の仏蹟」とするものもある。実は、このナコ ン・パトム、スコタイやアユタヤに王朝が確立される以前、ドヴァラーヴァティー(Dvaravati)という文明があったとされる。 もう一つ、ナコン・パトンが有名なのはベンジャロン焼きの絵付け工房が多いことだ。産地で安く仕入れるのもいいかもしれない。


93.もう一つの水上マーケッ ト(サムート・ソンクラム、タイ) - Another Floating Market, Samut Song Khram, Thailand (May 27, 2006)
 バンコクから西へ2時間ほど走ると、サムート・ソンクラムという元気がある町 がある。この町の中心部の運河 で、水上マーケットを復活し、お客さんが集まっている。タイで有名な水上マーケットといえばダムヌン・サドゥアックだが、ここは観光客に受けるような演出 が強いが、ここサムート・ソンクラムの水上マーケットは何もかもローカル色が強い。ちょっと田舎っぽい水上マーケットでのんびりと買い物をしたり、お菓子 やご飯を買い食いするのは、スローな週末の過ごし方として結構いける。


92.国王の建築世界へ(バン パイン・タイ)- Architectural World of the Kings, Bang Pa-In Palace, Thailand (May 6, 2006)
 バンコクから北へ1時間ほど、アユタヤの手前に小さい町がある。バンパインは、タイ では知らない人はいないくらい有名なのだが、それは国王の夏の離宮があるからだ。バンパインの再建に力を尽くしたのが、 ラーマIV世(1851−1868)、 ラーマV世(1868 – 1910)の父子だ。王は西洋建築を愛し、バンパイン宮殿にも見事な建物正面(ファサード)を持つ西洋建築が残されている。細部にまで心が行き届いてお り、 見事な建築世界をつくりだしている。


90.マーケット進化論(バン コク・タイ) - Evolution of the Market, Bangkok, Thailand (April 22, 2006)
 バンコクには無数のマーケットがある。天秤棒で担いでくる屋台がいくつか集った簡単なマーケットから、住宅団地に張 り付くマーケット、最近では郊外の環状道路にそって巨大なショッピングセンターが建設されるようになった。負けてはいられじと、都心部でのサイアームとい う地区で、東南アジアでも屈指の規模を誇る、パラゴン・ショッピングセンターがオープンした。さまざまなマーケットが賑やかに混在する姿は、活気溢れるタ イの今日を象徴しているかのように見えた。


88.古都・チェンマイの歩き 方(チェンマイ・タイ) - Where to Walk in the Ancient City, Chengmai, Thailand (April 1, 2006)
 チェンマイはランナー王国の王都であった古都である。旧市街を取り囲むように、一辺が2キロ弱、ほぼ正方形の堀が巡 らされた中がチェンマイの中心部だ。ここは寺院が多く、また由緒正しく格式の高いお寺も少なくない。旧市街は気長に構えれば十分に歩いて移動しても平気な 距離だ。夕方からはピン川(チャオプラヤ川の支流)に近い辺りのナイト・バザールを覗いてみるといいかもしれない。そして朝。寺院の多いチェンマイでは朝 の托鉢は欠かせない。また一日が始まる。


85.聖山の祈り―ドイ・ス テープ・チェンマイ(タイ) - Blessing at the Holy Mountain, Doi Suthep, Chengmai, Thailand (March 4, 2006)
 北タイを制したランナー王国の王都・ チェンマイから西に15kmほどの場所にあるドーイ・ステープ山は、14世紀後半に開山されたチェンマイの守護神ともいうべき聖山だ。山頂に は大きな純金に塗られた仏塔があり、人々は無心に祈りをささげる。またこの一帯は少数民族(山岳民族とも呼ばれる)が多く暮らす地域でもある。 ドイステープ山から小一時間、モン族が暮らす村にいたる。山間地にへばりつくように広がる村落は、私のふるさとである懐かしい山里の風景を思 い出した。


84.バンコクのさまざまな夜 ―バンコク(タイ) - Bangkok at Night, Bangkok, Thailand (February 18, 2006)
 バンコクの夜は賑やかだ。普通にイメージされるナイト・ライフといえば食事や飲み屋、さらにはもっと品のよろしくな いカラオケ・ハ ウスやオカマ・ショーまで、各種のお遊びが夜の街には溢れている。私はといえば、かな り健全路線だ。まずは刻々と空の色が変化する暮色を楽しむ。バンコクの夜といえばロックやクラシックのコンサートも盛んだ。夜のお祭りといえば、11月の 満月にあわせて開催される灯篭流し、ロイクラトーンだ。そのヘムレン流、バンコクの夜の楽しみ方を紹介するとしよう。


83.百円の楽園―パークロン 市場・バンコク(タイ) - One Dollar Paradise - Paak Klong Market, Bangkok, Thailand (February 4, 2006)
 バンコクの長期滞在中、私のお気に入りはパークロン市場の散歩だ。市内を縦貫する運 河がチャオプラヤ川に合流する近辺にある。私はひそかに この場所を「百円の楽園」と呼んでいる。市バスの往復やミネラル・ウォーター、少々食いしてもで40バーツで半日遊べる。つまり1ドル、日本円で100円 くらいだ。パークロン市場は青果と切花が得意分野だ。切花は栄転やら新任、もちろん結婚や 出産など、さまざまなお祝いの贈答に使われる。花のある生活というのは文化的、と思う。


72.色とりどりの水上マー ケット―ダムヌン・サドゥアック(タイ)- A Colorful Floating Market in Damnoen Saduak, Thailand (July 24, 2005)
 バンコクから南西の方に2時間ほど行ったところに、タ イの代表的 な水上マーケット、ダムヌン・サドゥアックがあります。あ る週末の日曜日、ここに行くことにしました。水上マーケットは朝が勝負ですから、バンコクを早朝に出発しなくてはいけませ ん。途中、特 産の塩田で塩を買ったりしながら、9時過ぎに水上マーケットに到着。舟をチャーターして運河を巡るります。色とりどりの果物を眺めながら、おばさんの手漕 ぎの ボートで風に吹かれる。なんともゆったり、のんびりの休日でした。


68.下町・長屋街の一日―タイ・バンコク - A Day in the Life of Downtown Row Houses - Bangkok, Thailand (April 16, 2005)
 このところ、バンコク市内の北部の長屋の街ディ ンデン地区にアパートを借りています。アパートの前が目抜き通りで、朝夕車が溢れ、歩道はあるものの料 理や惣菜の屋台が出て歩きにくいこと。目抜き通りに繋がる路地はほとんどが行き止まりで、縫製や クリーニングなどの町工場が軒を連ねています。ディンデン市場は歩いて10分ほどのところで、休みの日など路地に入り、私しか知らない抜け道を通ってお散 歩しました。長屋街は、懐かしいような暖かい空気が充満しています。


66.中国人の華やかなる街―タイ・バンコク - A Festive Bangkok - Chinese Style - Bangkok, Thailand (April 2, 2005)
タイ全国の華僑人口は700万人とも言われる。 特に17世紀以降、中国人がアジア 各地で商業を展開する中で シャム湾への華南から多くの中国人が渡来したというバンコクにもいわゆる中華街といわれるヤワラー通りなど、中国文化が華やかに開花 する中国人の街がいくつかある。今日は、そんな華人の泰国首都曼谷(バンコク)を歩いてみよう。折りも折り、中国人のお正月・春節の真っ最中。街は真っ赤 に染まった。


65.バンコクと7つの個性的な博物館(タイ)- Bangkok and its Seven Museums with a Style - Bangkok, Thailand (March 12, 2005)
博物館が絵や工芸を見る場所というのは当たり前のことですが、文化の香りの漂う空間でのんびりと過ごす、そんな楽 しみ方もあるのではないでしょうか。バンコク 滞在も長くなってきましたので、そんなことを考えながらバンコクの博物館めぐりをしてみました。入場料は130〜250円くらい、それで文化の香りの漂う 空間を使い放題。これってお得なのではないでしょうか。


63.戦場に架ける橋・クワイ川鉄橋の今―カンチャナブリ(タイ)- The Bridge on the River Kwai Today- Kanchanaburi, Thailand (February 08, 2005) 
クワイ川鉄橋は、太平洋戦争中に日本軍が占領したビ ルマ(現在の ミャンマー)への補給路とした「泰緬鉄道」の一部だ。場所はバン コクから時間あまり西の方に行った、カンチャナブリという町の近くだ。泰緬鉄道は、タイ側はカンチャナブリを通って山に入るまで区間がタイ国鉄によって運 行 されています。不幸な生い立ちの鉄道ですが、現在はバンコクからカンチャナブリを繋ぎ、クワイ川鉄橋を渡り、さらに終点のナムトック駅まで、週末になると 多くの外国人やタイ人の観光客を運ぶ人気路線です。

 
61.伝統工芸の島ーノンタブリ県コークレット(タイ)Handicraft Island - Koh Kret, Nontaburi, Thailand (January 22, 2005) 
 不思議と大陸アジアの大河にある中州状の島には
焼き物や織物、彫り物といった伝統工芸の集落があることが多い。クレット島は、釉を使わない赤い素焼きの陶器の生産地だ。島にはも ともとモン族が住んでいて、窯が 数箇所あり、焼き物を売るお店が無数にある。島には自動車が走れるような道路はなく、幅2mくらいの歩道が島を一周(約5 キロくらいか)している。チャオプラヤ川を渡った瞬間にタイムスリップしたような感覚に捕らえられる、不可思議にして魅力的な島。

4.古き良きバンコク - The Good Old Bangkok (October 10, 2003)
 
タイ人は信心深い国民だ。小乗仏教はタイの生活に馴染んでいる。バン コクは高層ビルやホテルが聳え、高架電車(Sky Train)が走る現代的な大都市である。しかし、一方で一つ路地を入ると、昔ながらの田舎っぽい空気のあるところも多い。仏様との距離も近い。
 このシリーズではバンコクの 昔ながらの古き良き都市の面影を取り上げてみたい。




3.天使の都 バンコクの優しき人々 - The City of Angels - Gentle People of Bangkok (September 24, 2003)
 
タイの首都・バンコク。タイ語ではクルンテープ―天使の都という意味 の町だ。王宮や寺院などの名所旧跡とショッピング、夜の歓楽街ばかりが話題に上ることが多い。しかし、この町の本当の魅力はその町に暮らす優しき人々では なかろうか。
 活動的なバンコクの町と、活き活きと暮らす人々をスナップした。



ラオス Lao


78.世界遺産の町の日常ーラオス・ルアンプラバン - Daily Life in the World Heritage City, Luang Prabang, Laos (November 26, 2005) 
ルアンプラバンはランサン王国の首都がおかれた古都だ。メ コン川とその支流であるカーン川に挟 まれ、周りは丘に囲まれたひっそりとした佇まい。古いお寺やフランスの殖民建築、さらには中国風のショップハウスに混じっ てラオス風の高床住宅があったりする。世界遺産の指定根拠は、歴史的に積み重ねられて出来上がった多様な建築空間、ということらしい。驚くよ うな建築物があるわけでもないが、いにしえの時の流れを感じさせるルアンプラバンには悠久の時がたゆたゆと流れる。


73.ありふれた素敵な田舎ーラオ ス・タケック  − Commonplace, but Enchanting Countryside, Thakhek, Laos (July 31, 2005)
 
ラオスに16年ぶりに再 訪したのだが、それほど変わっているようには見えなかった。素朴な人々の笑顔、のんびりとした生活のリズム、緑溢れる美しい国土、いずれもこの国らし い。タケックはどこにでもありそうなありふれた場所では あるが、なぜか懐かしく心惹かれる大いなる田舎だった。近代的なビルがあるわけでも、高速鉄道があるわけでもないが、人々は豊に、幸せそうに暮らしている ように見えた。開発っていったいなんだろうか―そんな疑問がふと頭をよぎった。

23.季 節風の恵み ラオス・ヴィエンチャン - Gift of Monsoon, Vientiane, Laos (January 31, 2004)
 ラオスは熱帯モンスーンの国。タイやベトナムに比べて、ラオスの雨は激しい。雨期に は時に町中を水浸しにする驟雨が見舞う。しかし通りが水に沈んでもラ オスの人々は平然としている。むしろ子供たちは楽しそうに水遊びの興じていたりする。
 それもそうかもしれない。ラオスの経済はモンスーンがもたらす雨に頼っている。



22.素朴で笑顔が素敵な人々 ラオス・ヴィエンチャン - People with Ingenuous and Enchanting Smiles, Vientiane, Laos (January 24, 2004) 
 ラオスは海のない内陸国で、閉ざされた国というような印象があるが、人々は人懐こく て純朴だ。
自 分がまだ三十そこそこだったせいもあるが、これほど楽しい国は他に経験したことがない。なによりもラオスの人々はとても優しい。そしてよく笑う。素朴にし て素敵な微笑みだ。


21.大地の恵みに支えられる生活 ラオス・ヴィエンチャン - Life with the Gift from the Earth, Vientiane, Laos (January10, 2004)
 ラオス、正確に言えばラオ人民民主主義共和国はベトナムとタイ、中国雲南省、カンボ ジア、ミャンマーにはさまれた、内陸の国だ。1989年、一年弱この 国に暮らした。
 大河メコンが流れ、農業や林業が産業の主体である。川で魚を採り、田を耕し、果実を摘む。いわば自然に恵みに支えられた国といえるかもしれない。所得で いえば世界でも最貧国のひとつだが、暮らしている人々は明るく、楽しそうなのである。物乞いをする人もほとんど見かけない。人々は助け合いながら、つつま しやかに暮らしている。


カンボジア − Cambodia

158.陸の国境の町の情緒・ポイペット(カンボジア)  - Atmosphere of Border Town, Poipet, Cambodia (July 5, 2008)
 カンボジアには何度もいったが、いつもバンコクから飛行機というパターン。今 回は、国境の町ポイペットに用事があったので、初めて陸路でいったタイ側の国境にはトラックやトレーラーが列をなしている。国境をこえてカンボ ジア側ポイペットではトラックよりは荷車やオートバイが多く、牧歌的だ。タイではカジノは禁止されているが、カンボジ アでは合法的、というよりも禁じる法律が整備されていない。だから国境にはカジノを備えて高級ホテルがいくつもある。そういうところにはあまり用事はなの で、適当な安宿を見つけてチェックインして町にくりだしたらもう夕方だった。暮れなずむ国境の町は、人間的でほっとする。


153.セントラル・マーケット昼下がり、プノンペン(カンボジア)  - The Central Market in the Afternoon, Phnom Penh, Cambodia (May 17, 2008)
 もう5年ほど前にカンボジアの仕事をしていたから、そのころはプノンペン をよく歩いていた。最近はその仕事も終わってしまったので、あまり再訪の機会がなかったのだが、この3月にプノンペンにしばらくぶりに行った。あまりゆっく りと町を歩く時間はなかったので、目標を絞ってセントラル・マーケットを歩くことにした。市場は人々の日常の顔が見られるから、ぼくは市場歩きが好きだ。 もうひとつ、今回の市場歩きには目的があった。それはクメール(カンボジア)スイーツを食べることだ。カンボジアのスイーツというのは、それだけで一冊の 本がかけちゃうくらいの種類があるらしい。


149.アートが一杯―カンボジア・シムリアップ&プノンペン- The Artistic Cambodia - Siem Reap & Phnom Penh, Cambodia (April 12, 2008)
 カンボジアはアートが一杯。カンボジアの産業というと、いわゆるアパレル、縫 製業と観光。世界遺産アンコール遺跡が観光のメイン だが、カンボジアを訪れる外国人観光客は年間100万人を越える。その観光客に買ってもらおうと、工芸品の生産が盛んだ。アンコールにちなむ石造や木彫、 絹織物や焼き物もある。また、以前にも紹介したが、クメール伝統芸能である音楽や踊りもあって、これも外国人観光客にはエキゾチックで魅力的なものだろ う。カンボジアというと虐殺、内戦、地雷といったイメージが強いが、カンボジアの「今」はそんな暗いイメージからはか け離れている。


119.アンコール遺跡を歩く5;さまざまなる遺跡−郊外編―カンボジア・シム リアッップWalk in the Angkor Ruin 5; Various Ruins for Excursion- Siem Reap, Cambodia (February 17, 2007)
 アンコール遺跡を歩くシリーズも5回目、これでおしまいです。シムリアップか ら日帰りでいける、郊外の遺跡集です。トクトクやタクシーなどの足が必要です。ロリュオス遺跡群は国道6号線沿いに南東、つまりプノンペ ン方面に行ったところにあり、古い遺跡です。近いしもう少し行く人がいてもいいなと思います。また、バンテアイスレイの方向にあ る、バンテアイ・サムレも美しい遺跡です。ここは私の一押し遺跡。 アンコール見学は、できれば日数に余裕をもって、郊外まで足を伸ばすといいですよ。


116.丘と川と町、プノンペン(カンボジア) - The Hill, the River and the City, Phnom Penh, Cambodia (January 28, 2007)
 カンボジアというと、なんといってもアンコールというのが普通で、首都プノンペンは案外と通過されてしまう のかもしれない。たしかにこれといっ て観光の目玉となるようなものも少ない。プノンペンには観光 地の派手さはないが、しかし歩いていて実に楽しい。市場がたくさんあって個性的だし、 国立博物館も立派で収蔵品も一級品そろいだ。今回取り上げたいのは、プノンペンの名前の由来になった丘の寺ワットプノンと、なくてはならない舞台装置のメ コン川。だからタイトルは丘と川の町プノンペンとした。朝日がメコン川から立ち上る光景は、何度みてもすばらしい。丘と川と市場めぐりをするだけでも、プ ノンペンに行く価値はある。カンボジア好きの人、次はプノンペンにも足を伸ばそうよ。


113.アンコール遺跡を歩く4;さまざまなる遺跡−近郊編―カンボジア・シム リアップ - Walk in the Angkor Ruin 4; Various Ruins in the Vicinity- Siem Reap, Cambodia (January 6, 2007)
 ア ンコール遺跡といえばアンコールワット、アンコールトムを思い起こすのが普通だ。しかしアン コール遺跡は600年にも及ぶ長い歴史のなかで造営された、多数の遺跡の総体を指す。すこし時間に余裕があれば、ちょっとマイナーな遺跡も回ってみて、自 分だけのお気に入り遺跡を見つけるのがお薦めだ。まあ、いろいろな遺跡があるのだ!須弥山 (しゅみさん)を模したバプオンとそれに向かう空中参道、絡みあう蛇のように交錯した池のニアックポアン、崩れかけた石橋のスピアントマ、夕日の名所プノ ンバッケンなどなど。もっと他にもあるけど、それは自分で探してね。


106.フランスの残り香漂う町を行く―(カンボジア・シムリアップ) - Walk in the City with a Touch of French Ambience - Siem Reap, Cambodia (October 7, 2006)
 シムリアップは、アンコールが「発見」された19世紀末以降、アンコールの発掘や研 究、さらには観光とともに栄えた都市といってもいいだろう。20世紀の初頭、フランスの植民地支配が確立し、アンコールにも多くの人が訪れ、いわば宿場町 として栄えた。ここにフランスの殖民様式とも呼ばれる石造りの建築物が建てられたのは、おそらく1920年代だろう。それらの建物は、オールドマーケット の周辺に建てられた。フランスの残り香の感じられる古い建物のつくる街を歩いてみた。


101.アンコール遺跡を歩く3;プリアカーン&タプロム・僧院建築の 光と影―(カンボジア・シムリアップ) - Walk in the Angkor Ruin 3; Light and Shadow of Monastery Architecture - Preah Kahn & Ta Prom, Siem Reap, Cambodia (September 2, 2006)
 アンコール遺跡で好きなものはと問われると、プリアカーン、と答える。アンコールの基 本原理は、天に向かって石を積み上げて山のように上を目指す構築物的であると思う。それに対して、プリアカーンは真っすぐな回廊の奥深く、石枠が無限に連 なるように細長い空間を見せ、そこに光と影が交差していったりする。プリアカーンは、アンコールトムを建造させたジャヤヴァルマン7世王が、仏教の大学と して建立したものだ。王は仏に何を祈ったのだろうか。


98.アンコール遺跡を歩く2;アンコールトムの世 界―(カンボジア・シムリアップ)Walk in the Angkor Ruin 2; the Microcosmos of Angkor Thom, Siem Reap, Cambodia (August 8, 2006)
 アンコール・トムは独創的な建造物だ。その最大の特徴は、中央に位置するバイ ヨンにある、4面に巨大な顔が施された屹立する塔だろう。菩薩の顔とも、あるいは仏門に帰依した王自信の尊顔だという説がある。それまでのアンコールの建 造物が、ヒンズー教の宇宙感を表象したことに比べ、この主張の強い造形は異質だ。アンコール遺跡を総体として、インドのヒンズー教遺跡からはっきりと区別 し、クメール人の独創の証となるのが、アンコールワットとアンコールトムであるといえよう


97.プノンペン・市場めぐり(カンボジア) - Going Around Markets in Phnom Penh, Cambodia (July 1, 2006)
  市場というのは、都市の台所とかいわれる。食品を蓄えたり料理を作るという 意味で市場は都市の台所であり、都市の人々を食べさせてくれるとう意味では都市の食堂なのかもしれない。都市を知るためにはまず市場に行く。カンボジアの 首都、プノンペンの滞在もすこし長くなってきたころ、常宿を変えた。それを機に、それまであまり行かなかったオールド・マーケットやカンダール・マーケッ トに歩いて行くようになった。青果の多いマーケットには季節の野菜が色とりどりに、果物が香り豊かに並んでいた。


94.アンコール遺跡を歩く 1;悠久のアンコールワット(カンボジア・シムリアップ) - Walk in the Angkor Ruin 1; the Eternal Angkor Wat, Siem Reap, Cambodia (June 12, 2006)
  アンコールワットは12世紀前半に建造された、ピラミッド型の構造をもつ遺 跡である。台形をした3つの層が積み重ねられている。最上層には、四隅と中央に搭があり、これがアンコールワットのシルエットを作っている。膨大な量の石 材とラテライト・ブロックを積み上げ、上へ上へと伸びていくアンコールワットは、何か巨大な力を感じさせる。アンコールワットを訪れると世界観が変わる、 という人もいる。世 界遺産に値する、素晴らしい文化財だ。


89.つかの間の王都と彫金の 村(カンボジア・ウドン) - Temporal Royal Throne and Ciselement Village, Oudong, Cambodia (April 8, 2006)
 プノンペンから北西へ40kmにウドンという町がある。周辺はトンレサップ川にそった平地だが、遠 くからぽっこりとした丘が平地に突起して見えてくる。近づいていくとその丘には搭 のような建造物がいくつか角のように屹立している。このウドンがかつてクメール王国の王都であった都市だ。ウドンの近くの川沿いに中州の島、チェン島 がある。ここはは彫金の産地となっている。村のあちこちの家からカンカン・トントンと金属を叩き成型する音がしてくる。


82.伸縮自在の巨大湖・トンレサップ湖(カンボジ ア・シムリアップ) - A Pudgy-Cheeked Huge Lake , Tonle Sap Lake, Siem Reap, Cambodia (January 23, 2006) 
 トンレ・サップ湖は、カンボジアの北西部にある東南アジア最大の淡水湖であ る。トンレサップ湖はメコン川の支 流で結ばれており、雨期と乾季で10メートルほども上下するメコン川の水位に連動して伸縮するという、世界でも類をみない湖だ。メコン川の水量を調節する 巨大な調整池のような役割を果たしている。私が勝手に新しく世界遺産を一つ指定できる とすれば、間違いなくトンレ・サップを選ぶ。こんなにユニークな自然の湖、世界中みても他にない。


79.アンコール観光都市の日常(カンボジア・シム リアップ) - Backstage of Angkor Tourism, Siem Reap, Cambodia (December 31, 2005) 
 シムリアップは世界遺産であるアン コール遺跡がある観光都市だ。人口10万人ほど町に年間100万人を越える観光客が世界中から押し寄せている。とはいえシムリアップは、ごく普通の地方都 市でもある。マーケットには夕方から人が集り、旬の果物や 野菜を買い求め、町には子供をつれたお母さんがこどもを日向ぼっこさせていたりする。そんな普通な町・シムリアップを見てみようと、カメラをもって歩いて みた


79.のどかなるアンコールの 村々から(カンボジア・シムリアップ) - From Tranquil Villages of Angkor, Siem Reap Province, Cambodia (December 23, 2005) 
 アンコール遺跡は、大小様々、年代的にも 600年以上離れた数十の遺跡群から成り立っている。それらの遺跡は数十キロの範囲に広がる農村に散在している。アンコールの村々は、いわば遺跡と共に暮 らす農村である。稲作や畑作をする村も多いが、農閑期にはおみやげ用に工芸品を作ったり、町に売りに行くための農産品を作ったりしている。農村の人達は概 して人懐こく、観光者にも優しくしてくれる。車をしばらく止めて、農村に足を踏み入れて見るのも楽しい。


76.アンコールの幻の石橋― スピアン・プラプトス(カンボジア・カンポンクダイ) - Spean Praptos, the Shadowy Stone Bridge of Angkor, Kampong Kdei, Cambodia (October 23, 2005) 
 シムリアップから国道6号線を南西に 60kmほどいったところに、スピアン・プラプトスがある。目印は9つの頭を持つコブラ、ナーガだ。道の両側の橋詰にある4つの。橋は堂々と体 躯を横たわらせていた。同時代のアンコール遺跡と同じく砂岩が表面に張られ、欄干は砂岩を円筒状に切ったものを柱で支えている。機能と美感をあわせもっ た、素晴らしい橋だ。800年あまりの時の流れに耐え、今まだ現役の道路橋である。文明の原点を感じさせる。


71.人は平和に暮らし続ける (カンボジア・プノンペン) - Life Goes on Peacefully, Phnom Penh, Cambodia (July 16, 2005) 
 カンボジアはある意味で不幸な国だ。 1970年代から内 戦が続き、大虐殺 が繰り返され、戦火にまみれた国土には地雷が溢れた。ようやく1990年台の半ばに和平条 約が結ばれ、カンボジアには平和が訪れた。それでもカンボジアは不幸な歴史 を背負って生きていかざるを得ないのだろうか。人々のもつイメージが簡単に抜けないことは知っているが、もうすこし平和で活気のあるカンボジアの現実を 知っ てもらいたい。いつまでも虐殺と地雷の国では、カンボジアも浮かばれない。


69.天女の舞・クメール舞踊 の研究―カンボジア - Dance of Angels - A Research on Khmer Dance, Cambodia (April 23, 2005) 
  アンコール遺跡には王宮の髪飾りをつけ花をもった舞姫をかたちどった彫像が見られます。天女・アプサラの舞がクメール舞踊の起源です。ポルポト時代に伝統 も途絶えそうになりましたが、パリ和平の後、王室や芸術関係者らが記録や記憶から復元してきました。プノンペンやシムリアップには現在、復興し たクメー ル舞踊を見られる場所がいくつかあります2003年、カンボジア王 朝の舞踊は人類の口承及び無形遺産としてユネスコの世界遺産に指定されました。


67.アンコールの聖なる山― プノンクーレン・カンボジア - Phon Kulen, the Sacred Mountains of Angkor, Cambodia (April 9, 2005) 
 アンコール遺跡群から北へ40kmほど行ったあたりに山 と川に囲まれた遺跡プノンクー レンがあります。クーレン山はアンコールの平原を潤すシムリアップ川の源流で、山を縫う ように清らかな水がほとばしる渓流が流れ、あちこちに滝があります。そして源流の川が信仰の対象になったのか、川底におびただしいシヴァ神やリン ガの彫り物がされてます。アンコールの全盛期から500年くらいも前に王座が置かれた場所です。


62.クメール絹織物の島―カ ンダール州ダック島・カンボジア - An Island of Khmer Silk, Dach Island, Kandal, Cambdia (January 29, 2005) 
 ダック島、別名「シルクアイランド」。プノン ペンから国道6号線を北へ15分ほど行った辺りからフェリーで行きます。ダック島は、メコン川の中州の島です。この島はクメールシルクの産地として知ら れ、島の住民の大半は伝統的な金糸を使った模様があるシルクの反物や、クロマーと呼ばれる実用的な綿の布を織って生計を立てています。こうした伝統産業が もうすこし高く売れて、村々の経済を潤せるようになるとよいのだが、と思い ました。


56.プノンペン・ゲストハウス通り物語(カンボジア) - Story of the Guest House Street, Phnom Penh, Cambodia (November 6, 2004) 
 カンボジアを旅するバックパッカーが一度はお世話にな るのが「93通り」。ゲストハウスの他に、お腹いっぱい食べさ せてくれるレストランやにぎやかなパブ、旅行会社、インターネットカフェ、両替やなどが軒を並べている。外国人が多いことを除けば、93通りは都会の中の いなか道という風情だ。プノンペンで最大のボーンカック湖畔のカ フェかる夕陽を眺めながらアンコー