花時計を少しあがったところに、黄金色をした像がある。こ の王は、敵の攻撃を受けて持ちこたえることができなかったアンコールを捨て、一度はトゥオル・バサンに都を構えるが、そこも洪水を受けたため、プノンペン に王座の置き場所をさだめた。15世紀のことで、ワット・プノンが建立されたのは、この王の 治世下だったから、プノンペンの生みの親のような人になる。