この堤防は、実は紀元前後のプトレマイオス朝時代に別の(これは水をカルン湖に入れないための)堤防と一体化 されて再利用され、その後もイスラムやトルコの支配下で活用されてきた。そのために、たとえばこの真ん中にある橋のような構造物がどの時代のものなのか、 考察を待たねばならない。一見して相当に古そうではあった。