「折 々 の 箴 言」 改 め
ツ ン 読 ・ 摘 み 読 み



心にせまる達人たちの言葉。
写真や、旅や、都市や、人生に関する
印象的な言葉を収集していきます。

 
Coutesy of Sunnyday Ketchup





 
 

 私の考えでは、土木は文明が要請するものです。逆の見方をすれば、土木は文明を支える装置を造り出すということだろうと思うのです。文明は 実用的なものですから、なるべく安全に快適に豊に暮らしたいという願いが反映されています。そこに文化的な価値があるか否かは、なかなか判断が難しいわけ です。しかし「土木遺産も文化遺産である」という新しい考え方、定義がでてきました。そうやって文明を支えるものとして造られたものを文化の目で見て、 「良い」と認められたものが土木遺産になるのだろうと思うのです。
Consultant編集部編、 『土木遺産 ヨーロッパ編』
(ダイヤモンド社
, 2005年刊、P181
座談における篠原 修氏の発言
→Amazonで書籍情報を見る 
へ ムレン> 世界遺産は関心が高いのですが、ちょっと似た言葉に「土木遺産」というのがあります。人類が営々と築いた道や橋、都市などの中から、その造営に 人類の英知が感じられ、後世に残すべき資産であるようなものを選んで「土木遺産」と呼んでいます。この本はヨーロッパの土木遺産17ヶ所を現地で取材して まとめたものです。実は私も一部を執筆しています。全ページカラーで、読みやすく構成されていますので、ぜひ読んでみてください。
(July 17, 2005)


 
 

 インドネシアの都市の住居 は、「表通りの世界」と「路地裏の世界」に大別される、ということはかねてからいわれてきた。「表通りの世界」では、車が通れるような路地に面して比較的 広い間口の家が並んでいる。・・・
 それに対して「路地裏の世界」というのは、表通りの家と家の間にわずかにあいた空間を入っていくと、その先に、オートバイ一台
がかろうじて通れるくらいの小さな路地が網の目のように延びていて、その路地沿いに展開する密集居住区のことである。 その先に何があるか知らないで足をふみいれた人は、おとぎ話で小さな穴を見つけて何だろうと入っていたら、突然広大な別世界が目の前に現れた時のような驚 き を感じるだろう。…ジャカルタに何年も住んでいてもその存在を知らないですごしてしまうこともありうるような別世界なのだ。
『ジャカルタ路地裏(カンポン) フィールドノート』
(P9−10、中央公論社
, 2001年刊) 
倉沢 愛子 
へ ムレン> 倉沢さんはインドネシアの都市社会の研究者です。また文章も達者な方で、現代のインドネシアの社会をみずみずしい筆致で描いた「20年目のイン ドネシア」(草思社、1994年刊)、ご自身の研究者としてしての生活を赤裸々に語った「女が学者になる時」はいずれも私の愛読書です。駐在員がアジアの 生の都市をほとんど知らないなど、私の意見の形成もたぶんに倉沢さんの書物によって喚起されたものかもしれません。この本は、家族そろってジャカルタ南部 の路地裏の世界に住み着いて、ともに暮らしながらカンポンの生活を描いたものです。(April 3, 2005)


 
 

 豊かさとは、自分自身の時 間を持てることにある。管理社会にすべての時間を規制されてしまって、自分の時間を持てない この貧しさ!…悲しかった。
 この悲しみは、すぐれた魂の人とほんとうには出会うことのできぬ人生の荒涼たる寂寥と似ている。多くの考え深い人や、愛の豊な人、魂の美しい人、世界中 を旅してきたような人に表面的に会うことはあっても、心をこめて魂から魂への会話を交じわすこともなく、真の出会いをすることなく通り過ぎてしまうこと の、なんと多い人生だろう。これが、私の一生なのだろうか。
『木々を渡る風』
(P138、新潮文庫
, 2002年刊) 
小塩 節 
へ ムレン> 小塩さんの本は以前にも取り上げましたが、今回の本は四季それぞれに花や実をつける樹木を題材に、人生の機微を語るエッセーです。この人、植物 学者じゃないか(実際はドイツ文学者)と思うほど樹木のことをよくご存知で、それにも感心すること甚だしいのですが、樹木の話題とともに語られる行き方の ヒントには説得力があり、考えさせます。涼しげな風の吹くベランダなどで読んでみるのもよいかも。
(January 3, 2005)

 
 

 テレビにも"泣き所"がな いわけではない。それはテレビの画面に映ったものは、一瞬にして消え去って、もう帰ってはこないことだ。
 新聞記者の使命は、泡沫のごとく消えゆく映像の果たしえないものを
"歴史"として記録する ところにあるのではないだろうか。
 そのことを新聞記者は自覚する必要がある。
 単なる報道だけではく、それを
"歴史に残るものとして"記録することが、新聞記者の大きな使命となる。 したがってそこには、「おこったことに、どんな意味があったのか」を判断して書く必要がある。
『ベルリンの壁 崩れる』
(P101、岩波新書
, 1990年刊) 
笹本駿二 
へ ムレン> ベルリンの壁崩壊直後に書かれた、ベテラン新聞記者による本です。歴史が大きく動く、その瞬間を的確に捉えた迫真のルポです。残念ながら絶版に なっているようですが、ドイツ統一がどのように動くのは判らない時点で、先の展開を的確に予想している点はさすがです。ヨーロッパに30年近くくらした著 者ならではのものです。
 それにしても東西に分断されたドイツ統一がこれほど短期間に、無血で行われたというのは人類の歴史のなかでも空前絶後だったのではないでしょうか。
(October 31, 2004)

 
 

 巴里よ。私は欧羅巴を去る にのぞみ、一語の別れの言葉もなくこのまま遠く離れて行くことは出来ない。・・・「芸術の都、文明の源泉、風俗の中心、流行の中心」としてかつて仏蘭西の 作家が誇った都よ。・・・建設と破壊とを同時に有する都よ。詩と散文を同時に有する都よ。・・・私はお前からずいぶん醜いもの、濁ったもの、澱んだもの、 厭わしいものを感知したけれども、また一口に言って見ようならお前の印象は冷たかったけれども、それにもかかわらず私はお前を忘れることが出来ない。…私 は お前を見た目で、もう一度自分の国の都を見直したいと思う。…すぐる三年の間、私の寂しい旅情を慰めてくれたお前のセエヌの水。私は長くお前のセエヌをも 忘れることはあるいまい。さらば。
「巴里を離れるにあたって」、『藤 村文明論集』
(P103、岩波文庫
, 1988年刊) 
島崎藤村
 
へ ムレン> 私が中学生のころに読んだいくつかの長編小説の中に島崎藤村がありました。いま時代の移り変わりの中で「夜明け前」を読み直したりしています。
 漱石や荷風の留学・遊学は有名ですが、実は藤村も3年もの間(大正2〜5年)、フランスのパリに暮らしています。パリからの手紙などを集めた「文明論 集」を読むと、藤村が都市に強い関心を持っていたことが解ります。一つの都市を去るにあたってこれほど率直に、都市への愛情をしたためることができるのは 文人としての才能だと感じます。
(September 19, 2004)

 
 

  思えば、岩に染み入る蝉の声をめで、「古池や蛙とびこむ水の音」、こういった静かな音を愛し、欧米人には雑音としか聞こえなぬすずやかな虫の音を聞きわけ ることのできた日本人の繊細な感覚はどこへいってしまったのだろう。それはもはや地を払い、経済大国日本は、騒音に対する鈍感さ、無感覚からいうと、世界 最低の文化後進国なのではあるまいか。カフェーやレストランのこれでもかといわんばかりの騒音(音楽ではない)、静か な山中や湖畔の観光地騒音「サービス」を考えてみるがいい。あれが暴力でなくてなんだろう。これが日本文化の実体なのだ。
『ラインのほとりー旅と音楽』
(P46、音楽の友社
, 1986年刊) 
小塩 節
 
へ ムレン> 小塩先生は、大昔に私がテレビドイツ語講座をみていたころ、中級パートの講師でした。私は初級(結局そのまま)でしたけれど、小塩先生の物腰柔 らかな語り口で、ドイツ文化を語られるのを聞くのがすきでした。その先生、ちょっと怒ってらっしゃいます。騒音に対する無感覚、私も日本に特徴的な現象だ と思います。欧米では許されるはずがない。なんとかしましょう。
(August 15, 2004)


 
 

 一日やそこらの旅行で、あ たりかまわずカメラを向け、しかもびくびくしながら、何かを盗むような目つきで写真を撮っていく日本人の態度をハーレムの人々はもっともきらう
 写真というものは、被写体を美しいと思わなければ、あるいは愛さなければ、写すべきではない。少なくともそれが私の写真モラルだ。みにくいと思うから
びくびくして撮るのだろう。黒人たちが怒るのも当然だ。
『ハーレムの熱い日々』
(P196、講談社文庫
, 1979年刊) 
吉田ルイ子
 
へ ムレン> この本はずいぶん昔に読みましたが、最近古本屋で見かけたので再読しました。ニューヨーク市のマンハッタン島の北部がハーレムで、黒人の多い地 区です。コロンビア大学の学生としてこのハーレムに住むようになった筆者が、住民との心の交流を通じて写真家として成長してく、その過程が楽しい本です。 内面にせまる吉田ルイ子の写真の原点が見えます。
(June 22, 2004)


 
 

 ここで私自身の旅行術につ いて少しお話してみたいと思います。
 よく、汽車や電車に乗ると、本ばかり読んでいる人がいますが、非常にもったいないことです
。 本というのは、一人の人が書いたものですが、周りの景色は、昔から今日まで大勢の人が書いてきた書物ですから、景色を通して、人びとの生き方とか、生活の 変化とかが窺えるわけです。風景は、まさに生きた書物だといって過言ではないでしょう。
『風景は生きた書物−体験的ヨー ロッパ論』
(P17、中公文庫
, 1986年刊) 
木村尚三郎
 
へ ムレン> 木村尚三郎さんは『パリ』を以前とりあげましたが、この本はどうしても紹介したい書物です。稀代の碩学の木村先生をして、旅先で本を読むなど もったいない、景色を見よ、とおっしゃられますと、生来怠け者のワタクシなどを嬉しくなってしまいます。柔らかい語り口も魅力。類書のなかでは出色の書物 です。
(May 8, 2004)


 
 

 コーヒーとパン。これが江戸でない東京の新しい味であり、この欧米直輸入の食味が東京の味であった。好奇心の強かった 元江戸っこの東京人一世は新しいこの味にも果敢に挑戦した。(中略)
 以後、一世紀半。コーヒーとパンの味は、その地方都市の文化の水準のバロメータとなる。パンのまずい都市にろくな書店もなく、文化施設は貧弱極まりないということが定説になっている。

『東京学』(P110、新潮文庫, 2000年刊) 
小川和佑
 
へ ムレン> 「東京」は私の育った町でもあり、日本の首都でもあるわけだから、東京について書かれた本には興味があります。何冊もある同種の本の中で、東京 生まれ東京育ちにして、他の場所に住んだこともないという小川氏の東京学は、東京それも江戸以降の東京への「愛」が感じられる好著です。
(April 18, 2004)


 
 これは朝日新聞社か
ら単行本で刊行された
際の表紙です。文庫
は別のカバーです。


 日本人が欧米人よりはるか にアジアに無知で無関心なことは、しだいに世界中に知れわたりつつある。ヴェトナムについてだろうと中国についてだろうと韓国についてだろうと、[日本人に]映画なぞ作れるわけはない。幻想もひとつの 「知」のありようだとしたら、多くの日本人はそれすらもアジアに持つことができないのだから。・・・
 それにしてもどうしてしまったのだろう。近代のもっと前、近世までの日本人は、アジアの海の中でアジア人たちと四つに組んで生きた来た、根っからのアジ ア人だったのだが・・・。

『近世アジア漂流』 (P19〜21、朝日文芸文庫, 1995年刊) 
田中優子
 
へ ムレン> 田中優子さんといえば江戸時代の研究家。この本では近世の日本とアジアの「四つに組んだ」関係を書いています。今のアジアと日本は金だけの関係 のような気がすることがあります。やや難しい部分もありますが、アジアの各地に日本人町があったころの日本とアジアのダイナミックな関係に今一度思いをはせる、いいきっかけになり ました。
(March 1, 2004)


     

雨・・・・・
イスラム風土とインド亜大陸の決定的な異相は 雨 雨季の有無だ
雨季の写真術は 自分が雨に濡れること

『全東洋街道』(上、P255、集 英社文庫, 1982 年刊) 
藤原新也
 
へ ムレン> 古本屋を覗いていたら、なんとこの絶版になっている文庫本(上、下)が各100円で出ていた!藤原新也の写真は「沈黙の写真」のような気がします。画面からは息を殺してこちらを見つめているような緊張感が伝わっ てきます。
(February 14, 2004)


   

 (日本の戦後は、鉄筋コン クリートということが、近代化の象徴だったな)とおもった。・・・私ども日本人は料理の器にさえ過敏であるといわれながら、都市空間となると荒っぽく無神 経になってしまう。一つには「これが流行です」と権威ある建築家からいわれると、くびをかしげながらも泣き寝入りした結果であったのかもしれない。
『アメリカ素描』(P40−41、 新潮文庫, 1989 年刊) 
司馬遼太郎
 
へ ムレン> 「アメリカ素描」は初めてアメリカ合衆国と遭遇した1985年の旅をベースに書かれています。ふだんは冷静な司馬氏がちょっと興奮気味に、アメ リカを「沸騰中の文明」と見ているあたり、興味深いです。「街道を行く」とともに飽くなき旅 と思索の書です。(February 7, 2004)

 

 そもそも地球上には、トイ レというものが存在しない土地の方が広いのだ。とはいっても、日本に生まれ育った私は、なかなか平気になれるものじゃない。
 ところが旅が終わってみると、トイレに困った国の方が文明国よりずっと印象に残っているのだ。刺激もあるし感動も深い。何よりも人間くさい。そうなの だ・・・。
 大らかな人と自然の営みに出会える旅、それが私のトイレのない旅・・・。
『トイレのない旅』(P9−10、 講談社文庫, 1997 年刊) 
星野知子
 
へ ムレン> 星野知子さんはNHKの朝のドラマ「なっちゃんの写真館」でデビューした女優さんなのですが、トイレさえないような辺境への旅がお好きなのだそ うです。トイレになんかとは無縁な(てことはないか)美しげな女優さんが、中国のガランとした大部屋トイレで累々とトグロを巻くブツを前に呆然・・・。行 動派女優による、掛け値なしに一級の旅行記です。(January 17, 2004)



 私にとって、カメラとはス ケッチブック、直感と自発性の道具であり、ビジュアル的な意味で質問を発し、同時に答えをだす「一瞬」の支配者である。世界に対して「意味を与える」ため には、彼がビューファインダーで切り取るフレームに対して参画していると感じることが必要である。
『Henri Cartier-Bresson, Master of Photography』(Aperture Book, 1976 年刊) 
カルティエ・ブレッソン
へ ムレン> 「決定的瞬間」で有名な写真家、カルティエブレッソン。彼の写真 には常に、この一瞬を見事に捉えてています。質問しつつ、答えを内包しているような、その瞬間を。(December 24, 2003)

  も ともとは同時代ライブラ
リーから出ていましたが、今
は岩波現代文庫に引き継が
れています。


 街並みは、そこに住みつい た人々が、その歴史の中でつくりあげてきたものであり、そのつくられかたは風土と人間のかかわりあいにおいて成立するものである。・・・街並みの基本を変 えたり、住まいのありかたを簡単に変えることができないことは、風土を変えることができないのと同様に至難なことなのである。
『街並みの美学』(p. 263
岩波同時代ライブラリー1990年刊)
 
芦原義信
へ ムレン> 建築家による街並み論の永遠の名著です。日本と西洋の都市と住居の捕らえ方の違いが街並みに反映している、と著者はいいます。思想にも惹かれま すが、世界の都市を歩きながら著者自身が撮影した多数の写真も魅力的です。ぜひご一読を。(December 17, 2003)

 

 その土地に足を運び、土地 の生活文化に全身で触れ、楽しみかつ学びたい。・・・だからこそ、町中を観光バスでウツラウツラと走り抜けてしまう旅ではなく、自分の足でゆっくりその土 地を楽しむ、「散歩する旅」がしたい。・・・散歩は町を調査して歩き廻っているのでもなければ、町を愛するが故に視察しているのでもない。町からちょっと 心を引いて歩き、あのベランダの花はきれいだなとか、こっちのゴミは汚いなとか思いながら、「町を旅している」のである。
『世界の都市の物語 パリ』(p. 27〜28・文春文庫、1998年刊) 
木村尚三郎
へ ムレン> 木村尚三郎さんに一度お目にかかりました。何を伺っても、すぐさま全部準備してあるがごとく、滔々とお話しされます。「文化人」という言葉があ りますが、木村先生のような人を言うのだろうと、その時思いました。『パリ』、すばらしい本です。なぜパリはお洒落なのか、その答えもこの本にあります。(December 10, 2003)



 街頭に佇んでいて、シャッ ターを切りたいと思う瞬間というのは、街を歩いている人々、立ちすくんでいる人々、その人々の顔にその人の人生がふと表れている、そんな瞬間だと思いま す。・・・ときにシルエットになったり、または昼間の強い光に照らされていたり、そこにその人が今、背負っている人生があります。
『feel the healing 彼女が一番輝く瞬間』(p. 180・弥生 書房、1996年刊)  ハービー・山口 
へ ムレン> ハービー・山口氏は私が気になる写真家の一人です。福山雅治を撮った「LICA・LIVE・LIFE」など、音楽関係者を撮ったものが素敵で す。ロンドンでの修行時代の写真にも秀逸なものがあります。表情が生き生きしていて、一目見た瞬間、ハッと息を呑む。こういう写真を私も撮りたいと思いま す。読み物としては、ロンドンの修行時代を中心にしている「女王陛下のロンドン」が楽しく読めます。(December 3, 2003)

 

 近未来の団地都市もあれば 長屋街もあり、大正モダニズムの問屋街もあれば、山の手一戸建て都市もある。東京はいわば、都市の博物館なのだ。さまざまな成り立ちのさまざまな 小都市がそこには展示され、なおかつ現在も息づいている。どこか一ヶ所をとってこれが東京だといえないのも当然なのだ。東京について語る人は誰でも、自分 がどこに立ち、どこから見たかによってk、見えてくるものが違うことを意識せずにはおれないだろう。例えばそれは、博物館の中でどの部屋からどういう順番 で見たか、と同じような出来事なのだから。
『都市の遊び方』(p. 223・新潮文庫、1986年刊  
如月
小春
へ ムレン> 如月小春は私と同じ歳の演劇人。残念ながら2000年に亡くなりました。東京という都市を探索しながら、巨大都市を感じ、考え、遊ぶ本。散歩の 手引き書(やや古くなっていますが)にして、出色の都市論の書でもあります。無くなる前に古本屋さんで手に入れてください。(November 26, 2003)




 旅とは何かを見残し てくることだ−と私は思う。もっと大事な、もっと貴重なものを自分は見落としてきたのではないか、そんな気がするからこそ、もういちど旅に出るこ とになるのだ。
 わたしはこれまで、数えきれないほど旅に明け暮れてきた。というのも、私の旅はいつも”心残りの旅”だったからである。人生についても、おなじことが言 えるのだが、月日は「百代の過客」だから、いくら
”心残り”であっても、初めからやり直すわ けにはいかない。けれど、自分の決意ひとつで、見果てぬ夢に、あらためて挑戦することは、けっして不可能ではあるまい。たとえ、残された時間が、ほんのわ ずかだったとしても。旅と人生とは、この点でも重なっていよう。
  『世界の都市の物語 ウィーン』(p. 26)、文芸春秋社、1992年刊   森本哲郎
へ ムレン> この言葉、よく思い出します。パック旅行なんぞで、時間が無いからバスの車窓からチラッと遺跡をみたりしますが、ああいうのは最低ですね。それ なら見ないほうがいい。悔いをのこしたほうが、中途半端に見るよりもずっといい。森本哲郎は旅の達人です。(November 19, 2003)


 
まあ、ね、シャッター押すの には近寄るタイミングも必要なんだけど、去り際のタイミングというのが絶妙じゃないといけないの。ここが憎まれるか愛されるかの分かれ道ですよ。難しい。 なにかいい風を残していくってことが問題なの。たいがいね、悪臭を残して帰るヤツが多い(笑)。
 『天才アラーキー 写真ノ方法』(p. 26) 
集英社新書、2001年刊
  荒木経惟

へムレン> 「天才アラーキー」が登場したのはずいぶ ん前のこと。深夜テレビで「ワタシは天才だから」なんて本気でいっていて、???でした。でも、最近出た「谷中 人町」なんかを見ると、撮られている人々 が本当に嬉しそうなのです。この人、本当に天才だったのかもしれない(失礼)と思うようになっています。上の引用は、その「天才写真術」の核心部分か。(November 12, 2003) 

ホー ム/Home

 
 
 
































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